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「20年経ちました」

阪神淡路大震災から20年目の今日を迎えました。

20年前は 皆若かったです(笑)
毎年この日になると あの日のことを思い出していますが
今日は あのときの家族それぞれの模様を思い出してみたいと思います。

夢うつつ状態で感じた大揺れの後
すぐ 子供部屋の息子達を確認に行き
それから2階の義父母の部屋にも~


誰も怪我もしてないようです。
それで安心した我々は 皆再び ベッドへ~

息子②の部屋の棚の上からは
重い写真アルバムなどが どさっと ベッドの上に落下していましたが
「僕は うまくよけたんや~」と自慢していました。

その後 ドドッド~と 近くに住む義姉が 飛び込んできました。
「おねえさんて オーバーやねえ」と のんきな我々夫婦。
姉のマンションでは 大きな窓のガラスが割れ ピアノも倒れかけたとか~

ようやく なんかものすごい地震なんや~と自覚して
食堂ややってきてみると あらら まあ 
食器棚の扉は全開~中の食器はこれでもか~と言う風に
割れて全部床の上へ~~(>_<。)~
息子のお弁当の為に炊き上がったばかりのご飯のにおいが 漂っていました。

こんな状態でも
「それでも僕 学校へ行く!」と言い張った息子① (その後ようやく休校との連絡あり)
息子②は 休校になったので うれしそうで ずっとファミコンをやり放題。
夫は 三宮にある会社までの電車が普通となり 車も使えないので
すぐに バイクを購入し 生まれて始めて乗って 会社へ~

救急車の音 消防車のサイレン
窓からは火の手が あちこちに見え
外ではガスのにおいがしています。
それでも 自分の家のまわりしか見てなかったので
ものすごい惨状には気づいていませんでした。
知ったので テレビの画面からです。

水道もガスもストップしました。
スーパーはどこもあいていません。
電話は ほとんど通じません。
パソコンはまだなかったです。

家中の容器は 水入れと変身し
部屋のあちこちに置かれました。
自衛隊の給水車だけが頼りでした。

ホットプレートと 電気湯沸しポットが大活躍しました。

ボランティアの人達が温かい手を差し伸べてくれました。
全国から たくさんの支援物資が届きました。
息子が頂いた アメリカから届いた 小さなリュックは
今も私が大切に使わせていただいています。(^-^)

お風呂に入れてくれて 洗濯もさせてくれた友人たち
無料でお風呂を開放してくださったゴルフ場
あの時の 感謝の気持ちは 20年経っても 決して薄れてはいません。
みなさん 本当に本当にありがとうございました。

神戸の人の心に優しく温かく響いた この歌をあなたにも…









Commented by アイマイ at 2015-01-17 10:11 x
20年前、まだ子育て奮闘中でしたね~
小中学生だった息子たち、それぞれ学校に行きました。

電話もつながらず、神戸の友人を心配しましたっけ。
今でもあの揺れが恐怖で、地震ってなんてこわい
とありふれた感想ですが@@;
先日夜、震度3の地震がありました。あれだけでも、恐かった~

ガスと水道がストップして、電気はOKだったのですか、ホットプレートと電気湯沸かしポット、あってよかったですね。

今朝の新聞も、震災一色です。
Commented by nonkonogoro at 2015-01-17 10:32
***
アイマイさん

段々と記憶は薄れていっていますが
こんなに大きな地震があったことは
後世にも伝えていかなくてはいけないと思います。
いつ どこで 起きるかもしれないのですから…
Commented by iris304 at 2015-01-18 18:32
こんにちは(*^_^*)

心も身体も弱っている時に差し伸べられた手の温もり、
忘れられないものですね。
復興の陰で、忘れられてしまって
見えなくなってしまったものもあるのかもしれません。
今、生かされている命、
大切にしたいと思います。
Commented by nonkonogoro at 2015-01-18 19:21
***
irisさん

災害は もうこれでおしまいということはなく
いつまた~と思うと不安になりますが
1日1日を大切に生きることくらいしか
できることはないのですよね。
Commented by blue-robin2 at 2015-01-19 12:52
こんにちは
あれから20年、月日のたつのは早いですね。
その朝、こちらもいつものない揺れ方で、階段を降りるのがやっとという感じでした。これはどこかで大地震に違いないと、まずは当時大阪で一人住まいだった息子にかけました。大丈夫だけど、今、冷蔵庫が開いた~~などなど。その後数日通じなかったので、多分揺れてる最中だったから一応無事を確認できたんだと思いました。当時東京勤務だった夫は新幹線が不通の間数ヶ月間高松空港周りの帰省でした。いつ何時こんなことが起こるやもしれず、連絡手段を日ごろから考えておくことの大切さを痛感しました。
まだ開けやらぬ神戸の静かすぎる映像からは想像できなかった惨事がその後次第に明るくなるにつれ報道され被害のの大きさを知った次第です。
Commented by nonkonogoro at 2015-01-19 13:38
***
blue-robin2さん

大阪の息子さんに すぐ連絡が取れて良かったですね。新幹線もそんなに長い間ストップしていたのですね~
地震が起きたのが明け方だったので
家族全員の無事をすぐ確認できて
良かったなあ~と思いました。
会社や学校に出かけてしまってからだったら
私一人で どんなに不安だったことでしょう。

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by nonkonogoro | 2015-01-17 08:00 | Comments(6)

主婦の何気ない日常のつぶやきです。


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